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もう少しお聞きしたいのですが、
傍から見たらおいしい話だけに聞こえますが、
相当難しい決断だったんですね。
浅野さんが在籍中のエスパルスには、アーセナルで無敗優勝を経験した
リュングベリ(元スウェーデン代表)も移籍してきましたが、
他の選手と違うものは感じられましたか?
リュングベリの話をすれば、 当然テレビで見ていたスーパースターだったので、 クラブハウスに着けば選手スタッフみんなと握手して挨拶したり また同時期に小野伸二選手や高原直泰選手など海外経験豊富な選手
他に3名の外国籍選手もいま
かなりあっちこっちに忙しかったのを覚えています。
向いてなかったのかなと思います。
本人の理想の衣食住を叶えられるのは東京だったり
その他の大都市
コ
トップ中のトッププレーヤーであり、各国で戦ってきた選手でも その後、強化部や総務のお仕事を経て、これも傍から見たらもったいない
そしてかなり豪華過ぎるメンバーの中でお仕事をされていたんですね!
やはり新しい環境に馴染むのは難しいんですね。
と思われるかもしれませんが、J1のお仕事を辞められ、
改めて昔から描いてた道へすすむことになりますが、
パーソナルトレーナーとして生きていく難しさと醍醐味を教えてください。
現在のところではほぼ一般の人のダイエットやボディメイクのため トレーニングを構成する上で、 姿勢や筋肉のつき方、バランス感覚、動きの癖、そして性格など、 あとはお客様の目標達成を一緒に迎えられることの嬉しさもまだ格
トレーニングをサポートしてますので、
苦手、できるならしたくないという方達をサポートしているという点で
最
ゴールドスタンダード的なことがない
この仕事の面白さだ
大学で学ばれてから実際にトレーナーを仕事にするまでに
同じ内容でも人の数だけトレーニングの数があるんですね。
正直なところ、結構時間がかかったんじゃないかと思います。
良い意味で回り道ができたという感じですか?
それとも早くトレーナーになっておけば良かったという思いもありますか?
「
初めて会ってから数回Jリーグの試合会場に連れて行っていただき
カバン持ちのようなことをさせていただいてましたが、
大学の公式戦と重なるようになってから連絡を取らずにいたので、
正直驚きました。
大学のフィジコまだ1年で、 この先フィジコとして生きていくには、
経験が必要不可欠と学んできたので、 通訳としての加入にはかなり迷いました。
色々な人と話し最後には悩んだ末に自分で決断しました。
そして当時清水エスパルスの強化担当をしていた方と 方と都内のホテルでお会いすることとなりました。
前述代理人の
話はもう決まっていたので、
あとは契約書に目を通してその場ですぐサインしました。
仕事内容は外国籍選手(当初はオーストラリア人1名) の
英語通訳およびサポート業務でした。
他にもチームのマネージャーやホペイロの補佐業務もありました。
みんなで助け合って円滑に進めるという形です。